8号室

2014年もあと5日で、幕を閉じる。
いくつかの音楽系雑誌で、30年前(84年)にはどんなアルバム(曲)がヒットしていたか?という特集を組んでいる。
84年というのは、奇形児解散に伴って、梅ヶ丘から実家のある那須塩原に移り住んだ年だ。
以前にも記したが、83年12月の後半に解散GIGをやった。が、84年の正月は既に実家で過ごしていたから、解散GIGを終えて、逃げるようにして(笑)田舎に戻ったのかも知れない。
その心は、(ややっこしい表現で申し訳ないが…)バンド(ロック)を辞めた自分に失望し、はたまた憤怒をしてそんな自分を葬りたくて、田舎に戻った。のだ が、結局は葬りたい自分(心身共に)を連れて帰ってきているのだから、東京を去るコトに何の意味も無かったのかも知れない。

話しを戻すけど、84年は自分の中に敗北感が充満していた年なので、ロックは邦・洋共に、ほとんど聴かなかった。
したがって、その年の(それ以降も)バンドや楽曲のことはまるでわからない。
しいていえば、垂れ流して観ていたドラマの中で鳴っていたボンジョビの『夜明けのランナウェイ』くらいか?(笑)
垂れ流して観ていたといえば、アニメのエンディングにロックっぽい曲が使われ始めたのもこの頃くらいからかな?
肩肘張ってパンクをやっていたけど、お茶の間でテレビを捻れば聴こえてくる、アイドルが唄う反抗的な歌詞の楽曲にウンザリし、自分勝手にロックに対する失望感を増大させていったのも、たしかこの時期だと思う。

そうなんだ!
そして現在の、被害妄想的な僻みっぽい人格を形成した原因はマチガイなく、あのインディーズブームの中に自分の身を投じるコトができなかったコトに起因しているのだ。

2014年12月27日 Yasu

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