10号室

オレの記憶はホント、当てにならない。
ここのトコロずっとあるコトを思い出そうとしているのだが、一向に思い出せない。
そうオレは、シルビイがいつ(何年何月)死んでしまったのか忘れてしまった。
シルビイというのは、サイキのギタリストをしていた女性のコトである。
世に、無冠の帝王という言葉があるが、シルビイはまさに無冠のギタリストだった。
サイキ?シルビイ?なんのこっちゃ?
ほぼ殆どの人は、わからないコトだろう。
サイキというのは、オレが上京して2番目に(1番目は、ライツアウトというHRバンド)加入したバンドのコトであり、シルビイはそこのギタリストだった。
少し註釈を加えておくと、上記の上京とは正確に言うと2度目(1度目は、高卒後デザイン学校に入学するため)の上京になる。
一旦は実家に戻り家業を手伝っていたが、どうしても音楽をやりたかったオレは、高校時代の同級生がやっていた学生バンド(それが、ライツアウト!)に加入すべく2度目の上京をしたのだ。
その学生バンドは長続きせず、オレはDOLLのメンバー募集を貪りながら、しばらくメンバー探しに明け暮れていた。
そうして巡りあったのが、ギターとベースの二人組。
ドラムは流動的でボーカルが抜けてしまったため、DOLLに募集を出したらしい。
会ってみて驚いたが、シルビイという女ギタリストとは1度目の上京時に軽く遭遇していた。
当時の友達が、知り合いのバンドを観に行くというのでついて行ったのだが、そのバンドでギターを弾いていたのがシルビイだった。
因みにバンド名は、蓮華。
蓮華のボーカルは、後にゲイルを結成するアリスだった。
以前会ったコトがあるということもあり、話が弾みオレはそのバンドに加入した。
加入して直ぐに、バンド名をスウィンドルからサイキに換えたのだ。
当時シルビイが通っていた大学の軽音室でリハを重ねた。
ドラムは相変わらず流動的だったが、曲はスムーズに出来ていった。
リハの度に違うドラマーに助けてもらっていたが、最初のLiveの直前にヒロシマ君が正式なドラマーとして加入した。
それからサイキは、ドロドロの人間関係の末に解散したが、90年代の末期に再結成を果たし幾度となくLiveを重ねている。
その再結成は前期・後期みたいに別れていて、前期のベーシストがタロー(裏窓)後期のベーシストがエイジロ君。
がしかし、またもや人間関係をこじらせて壊滅的な解散をした。
それからシルビイとは長い間連絡も取らずにいたが、調度キヨシローがなくなった年に何年ぶりかで会ったコトがある。
噂は耳にしていたが、ガリガリに痩せ細り、杖をついてもやっと歩いているという状況だった。
相変わらず、ツマミも食べずに焼酎をあおっていた。
昼間にもかかわらず、中華料理店でろくに料理も注文せずにボトルを2本空にしたっけ。
元気になってサイキをやろう。と言って別れたが、次に会ったのは、身体中チューブだらけの声も出せない彼女だった。
病室に見舞ったが、オレのコトを認識してくれたのかはわからない。
ただ、『早く元気になってサイキをやるぞ!』とオレが言ったトキ、シルビイがカッと眼を見開いたように見えたことを、今も忘れられない。

去年も多くのロッカーがこの世を去っていった。
皆、心の空洞を埋めることも出来ぬまま、それでも生前の功労を偲ぶことは出来た。

シルビイはそのギタリストとしての存在も知られることもなく、本当にヒッソリと逝ってしまった。
シルビイはFOOLSが好きだった。
シルビイは村八分が好きだった。
シルビイは自殺が好きだった。
FOOLSのファンに、シルビイのギターを聴いて欲しかった。
シルビイは多分何年か前の2月頃、永久に旅立った。

2015年1月9日 Yasu

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