3号室

前に、奇形児の解散のトキのコトを覚えていない話しをしたけど、結成の頃の記憶も曖昧。
ようするに、加齢的な事情も相まって、昔のコトは何も覚えていないってオチ?
それも味気ない(笑)
時系列的に考えると、タツシとの出会いがスタートかな。
タツシと出会ったのは、その前に、タツシの姉のファイターとの出会いがあって、タツシに辿り着いた。
ヒロシ君やドラムの斎藤君は、誰が連れて来たのかな?
奇形児結成期においては、重要な人物がいる。
たしか、渡辺君っていったかな。
渡辺君のツテで、ヒロシ君やドラムの斎藤君がメンバーになった?
斎藤君と渡辺君がたしか、友達だったのかもしれない。
渡辺君はカメラマン志望で、実際そのようなバイトもしていたと思う。
奇形児がキモノマイハウスでLiveをしていた時期のフライヤーは、全て渡辺君が作っていた。

今思い出しても、本当に渡辺君にはお世話になっていたのだ。
でも気が付くと、渡辺君と疎遠になっていた。
田舎へ帰ったんだっけ?
忘れてしまうものですね、人間って!オレが忘れすぎ?
今もそうだけど、バンドってメンバーのみじゃなく、色々なヒト逹の力を借りて成り立っていくものなのね。

2014年11月26日 Yasu

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